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短編小説・交換日記はいかがです9

短編小説・交換日記はいかがです9


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佐和湖は、再度喜一郎の家を訪ねたのである。
喜一郎は、まだ外出先から帰っていなかった。
この家にいるのは、弟子の登美子一人らしい。
佐和湖、
「ねえ、ねえ、登美子さん」。
「何ですか、古都さん」。
「九条さんと、晶子先生とは、どんな関係なんですか?」。
探りを入れる様に、登美子の顔色を見る。
登美子はその視線に、堪らなく嫌悪感を覚えずには居られなかった。
「人の仲に、口を挟まないほうが良いと思いますが」。
「晶子先生が、留美湖や、私に話す言葉と、九条さんに話す言葉とは、明らかに違いがありますわ」。
登美子は、うんざりした調子で、
「先生が、私に話す言葉とも、違いがありますは」。
そう言ってから、お茶を用意する為、席を立った。
「先生、もう直ぐ、約束の期限が、来てしまいますが」。
佐和湖は、喜一郎が、席に座ることさえ待てなかった。
「まだ、時間があります。何事においても、余裕を持つということは大切なことですよ。特に、子供を育てるということは、長い目で見守り、成長を愉しむ姿勢が大切だと思います」。
「御免なさい、先生」。
佐和湖は、直な気持ちで謝ることが出来た。
喜一郎、
「いやーあ、言い過ぎたかな。ご免」。
頭を掻いでみせた。
「まあ、先生ったら」。
佐和子は、笑い出してしまった。
「何よりも、お子さんにとって、お母さんの笑顔が、生きるパワーになるのですから」。
「そうですわねえ」。
「交換日記を書くというのも、一つの方便です」。
佐和湖は、大きく頷いた。
晶子が、留美湖を訪ねたのは、彼女が喜一郎の家に通うようになって、三週間に入った頃の事だった。
「どう、留美湖さん。がんばっている」。
留美湖は無言のまま、晶子先生の顔を、じーっとみつめていた。
「どう、詩はうまく書いてる」。
「そういうことじゃないと思います」。
留美湖はつけんどんに答えた。
晶子先生は、身構えるように、
「詩を作るって、難しいでしょ」。
「頑張っているとか、巧いとか、難しいとかの問題じゃないと思います」。
「どういうことですか」。
「何か、早く早くと、せき立てられているように聞こえます」。
「私には、分からない」。
晶子先生は、理解に苦しんだ。
「私には私の、生き様や、ペースがあるはず」。
留美湖は涙ぐんだ。愛情の絆、愛情のリボン。大好きな晶子先生から、そんなことが、しみじみ感じられる言葉を待っていたのかも知れません。
「そうですわねぇ、貴女には貴女なりの、積み重ねていくやり方があるはずですわねえ」。
晶子先生は、直ぐに結果をもとめたがる、自身を恥じた。
少し間を置く晶子。
「学校には登校出来るかな」。
少しトーンを落とす。
「九条先生との、約束の期限が過ぎれば、必ず行きます」。
留美湖は、きっぱりと言った。
心の中では泣き続けていたに違いない。
「晶子先生は、言ってくれないのですか。貴女の居ない教室は、何処か寂しいものがあるのですと。私は、その言葉がほしかったのです」。
留美湖の、呻くような言葉だった。
昨日も、今日も、そして明日もそうだろう。
留美湖は、喜一郎と向き合っていた。
明治三十三年というものが、どれ程の、意味を持つものか。
それは、単に、二十世紀の始まりというだけでは、済まされるものではない。
俳界の巨匠、正岡子規が亡くなった年であり、詩歌の世界では、新星、与謝野鉄幹、晶子が、大活躍を始めた年だからである。
正に、文学界の、一大転機の年といっても良いだろう。
どう表現すれば、留美湖さんに、理解してもらえるか、喜一郎は悩んだ。
それを、若過ぎるからとか、まだこれからの人だからと、語らないのも、自身の主義に反すると思いのである。
「先生。晶子が三十四年に発表した(みだれ髪)は衝撃的ですね」。
留美湖が話しかけてくる。
最近、色々と質問するようになって来ていた。
教えて欲しいこと、聞きたいことが、一杯出てきたのであろう。
喜一郎、
「私は、今、与謝野晶子の詩歌を、研鑽しています。勉強しています。一つ一つの詩歌は独立していますが、晶子の詩歌の全体から見れば、やはり、一連の哲学があることが、読み取れます」。
「先生、難しすぎます」。
留美湖はエンペツを、机の上になげた。
ちょっと難しい、表現だったか?。
「では、鉄幹のことを知っていますか」。
「ハイ、承知しています」。
「それは、大助かりです。では、山川登美子のことは」。
「ハイ」。
留美湖の顔に赤味が挿してきた。
もし、鉄幹と登美子が結婚していたら、晶子の存在はなかったであろう。
また日本の文学界も、違ったものになっていたであろう。
「晶子にとって、詩歌とは、大恋愛を、高らかに歌い上げるカンパスだったのです。詩歌こそ、今を生きている、自身の証明だったのでしようねえ」。
「私も、この世に生きていることの証明を求めたくなることがあります」。
留美湖は、喜一郎の、心を理解した。
「書き続けていきましょうよ。歌い上げて行きましょうよ。悲しいときには、悲しい歌を。楽しいときには、楽しい歌を。愛に生きてる今には、愛の歌を。詩歌とは、内なる心の叫びなのですから。その、叫びこそ、人生の讃歌ではないでしょうか」。
喜一郎と留美湖は、その後、美味そうにお茶を飲んだ。
「喜一郎さんは、二人の晶子さんに、惚れ込んでいるのですねぇ」。
小さい声だけど、何故かよく聞こえた。
「うーん。やっぱり惚れているのかなあ」。
「やっぱり」。
と留美湖。
二人は、声を上げて笑った。
約束の、一か月まで、後三日に迫っていた。
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プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

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