スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中編小説・天使の君は、輝いているかい???5

中編小説・天使の君は、輝いているかい???5


                                   中編小説・天使の君は、輝いているかい???1


                                   中編小説・天使の君は、輝いているかい???2



                                   中編小説・天使の君は、輝いているかい???3



                                   中編小説・天使の君は、輝いているかい???4





こんな出来事もありました。まるで昨日のように思い出されるのである。
秋の遠足を前にした日のことだ。
遠足に着て行く新品の服がほしくてならなかった節子である。
夕暮れになっても帰ってこない節子を心配して、父親の秀夫は探し回ったのである。
「節子、節子・・・」。
叫び声は権現山まで届いたであろうか?。
節子は笹間川の、川辺に佇んでいた。
「お母さん、お母さんは、どうして先に、死んでしまったの」。
節子の叫びは、水の流れに乗って消えていった。
「節子、ここにいたのか、お父さんは心配したぞ」。
秀夫はその手で引き寄せて抱き締めた。
「お父さん」。
節子は父の温もりを知るのである。
秀夫は娘を責める気にはなれなかった。
自身の不甲斐なさを持て余してしまうのである。
それでも、何故かしら声を出さずには居られななくなったのである。秀夫は大声で歌った。
『ウサギ追いしかの山、小鮒つりしかの川、夢は今も巡りて、忘れがたし故郷』。
歌っているその顔は、天空を睨んでいる様だった。
父親が、故郷を捨てて出て行かないということは、わが子を、何処までも見捨てはしないということでもある。
これが、お父さんなのだ。
節子は父親というものを理解したのである。
彼女から笑みがこぼれた。
「お父さん、御免なさい。私よりお父さんの方がもっと辛かったんだね」。
「節子」。
秀夫は再び、その手に引き寄せて抱きしめた。
愛しき子よ、節子。
お前は私の大切な宝物なんだ。お前が、居なくなったら、天国にいるお母あさんに、どう謝ったらいいのか。
秀夫の胸は張り裂けそうだったのである。

昭和四十九年六月一日。
学校教育法が改正され、教頭職が法制化されたのである。
当時は、校長、教頭先生が、六十歳で定年。
男子教員が五十八歳、女子教員が五十五歳で定年だった。
やがて、男女差別も無くなっていくのであるが、法制化と資質の向上が急がれていたのである。
教育は時代の転換点に差し掛かっていた。
古き良き時代の終焉であろうか。
先生にでもなろうかという時代は、とっくに過去のことになってはいたが、やがて、置き去りにされて行く情操教育。
中でも愛情を注ぐことの大切さは、遠い時代のことと忘れ去られてゆくのか。
この世で何が美しく、清いか、問われれば、信頼と愛情で結ばれた、師弟の道しかないと思うのである。

二月も節分を過ぎた日のこと。
豊先生は愛子や節子を含め七人の生徒達が書いた作文、『私のお父さん、お母あさん』、を朗読させてみることにした。
目で文字を追うのとは又、違った内容になるかもしれない。そんな誘惑に駆られたのである。
和夫は、時には声を詰まらせてしまった。
節子はただ、淡々と読み進んでゆくだけであったが、それが級友のすすり泣く声になったのである。
愛子は、朗読の途中から泣き出してしまった。
「天国にいるお父さん、何時も私を見守っていてくれて有り難う。泣き虫の、意気地なしの、甘ったれだったけれども、でも、もう大丈夫だよ。私はもう直ぐ中学生になります。大人への一歩を踏み出すのです。私を見守り続けた慈愛の光を、これからは、お母さんに、労いの光となって、注いであげてくださいね。お母さんは今でも、お父さんが大好きなのです」。
和夫は、愛子にハンカチを差し出した。
ハンカチは溢れ来る涙で、ビショ濡れになっていた。
生徒は、自分を表現できて、最も信頼する先生に理解された時、心に喜びと安心を取り戻すものなのかもしれない。
涙はきっと、豊かな感受性の発露なのだろう。
豊先生は、あえて指導しょうとは思わなかった。
この子たちの為に、残して置いて上げなければならないもの。
それを実現するのが責務だと考えたのである。
豊先生は言った。
「どうだろう、皆、卒業文集を作ってみようか」。
教室中が少しざわめいた。
豊先生は、作文を家に持ち帰った。
蛍光灯の明かりの下で読む活字は、輝いて見えた。
愛子の書いた作文は、まるで天子の声に思えたのである。
愛子の健気な心が、まるでペンを自由に操るように、書き上げたとしか考えられない愛しい文章だった。
母、孝子の面影を浮かべている豊先生。
「愛しい人」、と呟くのである。
さて、他の六人達はどうであったか。
彼女の作文と、さして遜色はなかったようである。
とても成長していると思えない先生自身。
まるで竹の子が、ぐんぐん成長していくように、育っていった生徒たち。
「申し訳ない」。
と一人ごとを言った。
長い夜になってしまったのである。
あくる日、豊先生は急いで登校した。
「どうだろう、昨日発表した作文をベースに、三つの課題で夫々に作文にして卒業文集に、仕上げてみようと思うが」。
先生は皆の顔を見た。
皆の頷く顔が見えた。
そして、週末でのクラス会のことになった。
愛子は、出来上がった作文をかざして、
「先生、この作文の中には、何時でもわたしがいるからね」。
その瞳は、未来に向かってかがやいていた。
「私だって居るからね」。
と節子は、作文を広げて立ち上がったのである。
家庭の温もりに、恵まれないこの子達が、どうしてこんなにも明るいのだろう。
不思議なことではあった。
『将来への夢』、『私の友達』、『私のお父さん、お母さん』、の三つのテーマで書かせた卒業文集である。
皆で、助けあったり、協力しあったりして、書き進んだ日もあったと聞いている。
積み重ねて行くうちに、希望を見出したということだろうか。
活字には、それ程までに力があるということなのだろう。
学級委員の秋男は、集め終わった作文を豊先生に手渡した。
皆は、豊先生の言葉を待っていた。
「おのおのが精一杯に書き上げた文章。それらの数々は、太陽の光のように、遍く、皆の未来を輝かせてくれるでしょう。そして、皆が、将来、辛いことや、悲しい事に出会った時、この卒業文集を読んで下さい。ここには心の故郷が、一杯詰まっているのですから」。
豊先生の、その言葉は力強かった。
「先生」。
「何だ、秋男君」。
「俺、先生のこと一杯書いたからな、な」。
秋男の声は、叫びに近かった。
「うーん」。
言葉にならない声を出す豊先。
「私も、先生のこと、一杯書いちゃった」。
愛子も大声で言った。
「有り難う」。
豊先生は、そう言って教壇を降りた。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

最新出版物
白浜砂夫の電子書籍




ランキング
投票お願いします。
にほんブログ村 ポエムブログへ


人気ブログランキングへ



ブログランキング

ブログ王

アクセスランキング
[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
7382位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
小説・詩
170位
アクセスランキングを見る>>
砂夫ちゃんカウンター
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。