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短編小説・鹿鳴館と公家2

短編小説・鹿鳴館と公家2


                                  短編小説・鹿鳴館と公家1




慶応三年十二月九日。
王政復古の大号令と共に、摂政関白制度が廃止された。
そして、明治四年、朝廷においては、三條実美を太政大臣、九条道孝を左大臣、岩倉具視を右大臣とする体制が整ったのである。
これは、五摂家より格下の精華の出自である三條家が、太政大臣についたということは、いかに、維新の勲功が大きかったという証拠であろう。
三條実美は、若き天皇にとって、年上の幼友であったし、最も信頼する側近でもあった。
ちなみに、岩倉具視は、明治十八年に没している。岩倉を失ったということは、朝廷にとっても、三條の内大臣(内府)にとっても、おおきな痛手となっていくのである。
やがて、薩摩、長州出身者(いわゆる、尊王攘夷派)でしめる、藩閥政府の力は、頂点に達していくのである。
これは、平安時代から続いてきた、摂関政治の終焉を意味し、官僚政治の始まりを意味していた。
明治八年から十二年頃が、国史編纂の機運がたかかっいようである。
従四位下、伊予の守、大江成美とか、正二位、清原宣光とか、内府三條公の名が、数々の文献の中にでてくるのである。
「やはり、三條の内府様の存在は大きいようですねえ」
と、書道家でもある、清所孝道は、訪れた友人に語るのである。
「この頃までが、朝廷の華やかな頃なんでしょうねえ」
と、友人は返答するのである。

とある日のこと、
場所はといえば浅草山の宿町。
奈都子は、車夫の溜まり場である立て場に顔を出していた。恵理子の父、定男は、車夫をしている。
「森さんは」
と、車夫仲間に声を掛ける奈都子。
「ああ、お嬢さん」
と、奥から定男の声が聞こえてきた。
「ひとつ、お願いします。もう暗くなりますから」
と、奈都子。
「ああ、お急ぎですねえ。どうぞ」
「ええ、早く帰らないと、母の機嫌が悪くなりますので」
と、奈都子。定男は、ひとっ走りして、彼女を、沢の上家の邸宅に送ったのである。

さて、ここで少し話し変えてみる。
華族というのは、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵を授けられた、特権を伴う社会的な身分をいうのである。
明治二年頃は、旧公卿とか、大名の家系の身分呼称であったのだ。
明治十七年の華族令によって、維新の功労者達にも適用されるようになったのである。
伝統に則っていえば、従五位の下までで、まま、正六位辺りまでが、対象であった。
公爵は、旧公卿の五摂家と、徳川、島津、毛利様である。
ついで、三條、岩倉様が公爵様に列せられるのである。
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プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

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