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短編小説・鹿鳴館の淑女たち7

短編小説・鹿鳴館の淑女たち7


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同じく、二十一年七月二十日。
偉大にして高潔なる幕臣、山岡鉄舟死去す。
この時、東京に居た、関口静岡県知事は、直ぐに、静岡県内に隠遁している、徳川慶喜公爵に、訃報を報せたのである。
これを受けて慶喜公は、電報をもって懇ろな弔詞をおくられたのである。
「山岡鉄舟という称号は、武士道の代名詞だ」
と、勝海舟に言わせた人物である。
残された妻子は悲惨であった。
「鉄舟と言う人は、これはまた、とんでもない変わり者で、妻子を養う事など私事であり、客にはもてなし、幾多の浪人も、居食させましたから」
と、内儀のうちは話す。
「それは大変な事で」
と、旧幕臣で、鉄舟の部下であった彼は、慰めるのである。
「時には野辺に出て、アカザ、その他の草木の葉や根や実を採って来て食べた」
と言う内儀。この内儀、悲惨と貧乏のどん底の中でも逃げ出さなかったのである。
同じく、旧幕臣で彼の部下、この人は、明治政府に迎えられやがて爵位と、高い地位を与えられる様な活躍をするのである。この人物こそ、山岡家の窮状を救い、妻子の命を繋いだのである。
この人言わく「妻の鏡」。
次の日、七月二十一日。
土方宮内大臣は、休暇を賜り、午前六時十五分、新橋発の汽車にて、相州箱根宮ノ下温泉へ赴いている。宮ノ下の奈良屋兵治方へ投宿したのである。
ああ、維新は遠くなりにけり。
日本中が燃えていた、青年の様な国に生きた明治の人々。こんな時は、徳富蘆花の小説・不如帰『ホトトギス』が良いようである。三十一年に発表された。
そして、正岡子規の俳句誌『ホトトギス』も良いようである。
青年のような心で、青年のように未熟な国ではあったが、男も女も燃えていた。日本中が燃えていた。救国の情熱、いまに伝えたり。
ああ、明治は遠くなりにけり。

さて、公卿の世界も、二十一~二十二年頃になると、岩倉公の若君。岩倉具定、二条公の若君、九条公の若君、西園寺候の若君が、鹿鳴館の淑女たちの噂と共に、表舞台に登場して来るのである。鹿鳴館はさらに華やいだものになってゆくのである。さらに、木戸候の若君や、新華族も。
新大使、加わり、頂点に達するのである。

やがて、時はすこし流れて、大和田建樹は旅の空にあった。
その仕業は、歌人の心を慰めるに似ている。
明治二十七年~二十八年、清国との間で行われた、日清戦争で、教え子を亡くしている。
また、教え子の東子はこの時、亡くなっている。
教え子を亡くした悲しみ、分けても東子を亡くした悲しみはあまりに深く、心は傷ついたまま、旅路の果てに、この海辺に辿りついたのである。
遠くには由比が浜より、三浦の方まで、一望に出来る所にあって、夕波の声を聞いて、流れる涙と共に、昔を懐かしむのである。

そして十年の歳月は流れて、明治三十七年。日露戦争の最中、与謝野晶子が、衝撃的な長編詩を発表するのである。
旅順口包囲軍の中にいる弟を嘆いて「君死にたまふことなかれ」を明星誌上に発表したのである。
これを、作家の大町桂月は、
「晶子の特長は、和歌にありて、文章にあらず、新体詩にあらず。不得手なる事に手を出さざるは、本人の為にも得策なり」
と言って痛烈に非難するのである。
続いて、桂月は、忠君愛国の心無きものなり。義勇のこと、公に奉ずるべしとの、教育勅語を非議するものなりと、指弾のキャンぺーンを繰り広げたのである。
晶子も負けていなかった。
「これは、戦地にいる弟に対する姉としの真情の吐露であり、真の心を、真の声に出したまでのこと」
と語っていくのである。
また、
「何事にも、忠君愛国などの文字や言語。そして、畏れおおくも教育勅語などを引いて、論ずる事の流行は、かえって危険きわまりない」
と、晶子は反論するのである。
悲しきかな、世間は晶子に対して、冷たかった。このいつ果てるともしれない、桂月と晶子の論争に、翌年一月十一日の読売新聞は、晶子を是とし、桂月を非とする文章を掲載したのである。
晶子の詩の情の声なりと褒め、晶子こそ詩歌の何たるかを知る者と、晶子をかばっている。
これより「読売の文学論、優れて高潔なり」と語る文士も出てきている。文学界の流れは晶子に傾いていった。

この頃、九条武子は、愛する人と旅の空にあった。
武子と言えば、晶子と和歌の仲間というべきであろう。文学界でも広く知られ、深い親交は知る人は知る、深さであった。
東京から伊豆へ、そして京都へ、吟行の旅は続く。
「私にはあなたがいる。あなたがいる。あなたがいるから生き抜いていける」
と、武子は訴える。
和歌の先生は、
「この激動の時代も、あなたと巡り合うためにあったのかもしれませんね」
「その激しさが、かえって私の心を燃え上がらせるのかもしれませんねえ」
と、武子。
和歌の先生は、私用で大津あたりから、東京へと帰って行った。
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まとめtyaiました【短編小説・鹿鳴館の淑女たち7】

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プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

最新出版物
白浜砂夫の電子書籍




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