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短編小説・鹿鳴館の淑女たち3

短編小説・鹿鳴館の淑女たち3


                                                 短編小説・鹿鳴館の淑女たち1


                                                 短編小説・鹿鳴館の淑女たち2




さて、少し時は流れて、伊藤博文が、鹿鳴館の晩餐会に、下田歌子や、津田梅子を招いたのは、それなりの魂胆があったからだ。
かねてより、懸案となっていた、学習院の女子部を独立させる為である。
学習院は、西美濃は高須藩『尾張徳川支藩』に住する座田維貞の建言により、功化三年(一八四六年)建春門外に設立されたものである。
維貞は、鷹司政道、三条実万、三条西季知らの、公家の知遇を受けていたのである。
また、維貞は、君臣の大義を明らかにして、大和魂を育て、国体を護持しようとする『国基』一巻を著作したのである。
この著は、孝明天皇も御覧になったと言う事である
この頃、伊藤博文や森有恒たちは、華族女学校の設立に腐心していた。
博文や森有恒らは、欧化『フランス、イギリス、アメリカ』主義者として、その思想のままに、行動して来たが、やがて望まぬまま、ドイツ帝国主義、いわゆる絶対君主制主義者の前に、転換せざる得なくなるのである。
その、絶対君主制を唱える中心人物は誰かと言えば伏見宮様と言わざるを得ない。
明治三年、北白川宮を作り、次いで十二宮家全て、伏見宮家の分家として興したのである。
結果論から語るのであるが、間違った解釈とは思わない。
明治時代、祇園で密やかに語り伝えられる言葉には含蓄がある。
「あら宮様、お見限りの事」
と舞妓。
祇園では伏見宮様とは言わない。宮様で通るのである。
「うーん、祇園でドンチャン騒ぎをするのも、我が楽しみぞ」
それほど、伏見宮様の祇園遊びは有名である。
「あら、宮様」
で通って行ってしまうその事が、真実を語っている様に思えてならない。

当時、歌子は桃沃女塾を経営していた。
津田梅子は、桃沃女塾で、伊藤の長女を含めて、井上馨の二人の娘達や、維新の勲臣の娘たちを、生徒に持っていたのである。
この桃沃女塾と学習院の女子部を合同して、華族女学校を作ろうというのが、伊藤博文や、森有恒、井上馨らの考えであったようだ。
明治十八年初秋。九月は重陽の節句。
歌子と梅子の会話は弾んでいた。
「皇后の春子様は、女子教育の振興に、それはそれは、大変尽力された方ですから」
と歌子。
「皇后様は、見識を持った、聡明な方なんですね」
と梅子。
「それが私達にとって、どれ程、希望を与えているか計りしれません」
と歌子。
「皇后様を迎えての開校式は完璧なものにしなければなりませんね」
と梅子。
「もちろんです。重たい役目を受け持ったのです」
歌子の声が響く。
華族女学校では、十月に授業開始。十一月に開校式が取り行なわれたのである。
皇后の春子様は、一条忠香の娘であり、女子教育の振興などに尽力された事で知られている。
和歌や漢学を近衛、八田、高崎正風から学んでいる。
歌子は、先の皇后九条夙子、新たに皇后の春子様の殊遇を受けた事によって、華族女学校の学監から、全国婦人協会の会長に、そして、実践女子大学の創立へと登り詰めて行くのである。
実に大きな後盾ではあった。
梅子と言えば、同年九月、年俸四百二十円の、準奏任官で教授補に任ぜられたのである。
当時、奏任官は、歌子ただ一人で年俸五百円の待遇を受けていた。
梅子の待遇は破格のものと言っていいだろう。

明治よ、明治の文化と教育に多大な貢献をした、聡明な女性たちよ。
小金井喜美子よ。
夫、小金井良精は解剖学、組織学を研究し、アイヌの研究にも貢献した人類学者でもある。
自らの兄は森鴎外にして、彼女も『皮一重』『しらがみ草紙四号』『人肉』『しらがみ草紙六―十号』を明治二十三年三月二十五日、翻訳発表している。
景山英子、岡山藩の下級武士の娘として生まれたり。
婦人解放運動に活躍するのである。
婦人の解放には、経済的独立が先決であると考え、明治十六年、岡山に私塾を作ったのである。
同じ年には鹿鳴館が開かれ、砂上の楼閣は繁栄して行くのである。
英子の作った私塾は禁止され、新たな活躍の舞台を外に求めていかざるを得なかった。
喜美子も明治の女、英子も明治の女。共々に『この時代の花よ』と言ってやろうではないか。
さて、『人間いたる所に青山あり』とは、幕末に活躍した、周防の詩僧、月性の言葉である。
人間何所で死のうと、骨を埋める所くらいはあるから、故郷ばかりに拘らず、広く社会に出て、大いに活躍すべきであると言う意味だ。
また、忘れてはならない人物がいる。大和田建樹は、愛媛県宇和島に生まれた。
明治を代表する国文学者であり、優れた歌人である。
独学で教育界の大家と成り得たのであるから、相当の苦労をしたのであろう。
男女高等師範学校の教授にまでなり、多くの教え子を輩出しているのである。
『新体詩学』を始め、多くの著書を残している。
なんといっても、二十年に作詞、発表した、『鉄道唱歌』は、あまりにも有名である。
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まとめtyaiました【短編小説・鹿鳴館の淑女たち3】

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プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

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白浜砂夫の電子書籍




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