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短編小説・君に心は届いたか7

短編小説・君に心は届いたか7



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晶子の混乱と狼狽ぶりは、並のものではなかった。
「早く、救急車を」
と、言う隣家の主婦に、ようやく受話器をとったのである。あの時の晶子は、正しく妻だったのにと思うのである。
朝九時、東都日日新聞の文芸欄に目をやる。(作家の世界に生きた女性達)の特集記事が掲載されている。登場人物はといえば、山川登美子と、樋口一葉、それに、宮沢トシである。孝夫の目を引いたのは、一葉と宮沢トシである。二人に共通するものは何んであったか。
それは、二十四歳という、あまりにも若すぎる死であった。一葉は、半井桃水との、悲恋に生きた人生だった。
宮沢トシは、大正十一年十一年二十七日に、結核を煩い、亡くなっている。花巻高等女学校に学び、日本女子大学校を出た。初恋の人は、花巻高等女学校の先生であったようだ。先生の傍ら、作家への道を歩んでいる。初期の、与謝野晶子と比べて違うところは、むしろ、兄宮沢賢治に、多大な影響を与えたということである。トシは、初恋と、兄賢治への思慕と言う、愛の間(はざま)を、駆け足で行った人だった.。二十四歳、あまりにも若過ぎる死。作家には、霊気があるとでもいうのであろうか。孝夫の胸は痛かった。
さて、流れを元にもどそう。思慕といえば思慕。心の病といえば、心の病ともいえなくない。真理子は声優ではないけれど、固有の並はずれた素質を持っているようである。
音声にも、人の心を捉えて離さない魔性があるようだ。
和歌に生きる人々は、歌の病に苦しむ。音声に乱れの有る者は、心の病に陥ってしまっているのであろうか。間違えないでもらいたい。
孝夫が恋をしたのは真理子ではない。真理子の(魅力)に恋をしたのである。
それは、偶然から発見したものである。流れからいけば、偶然から奇跡を呼ぶ序章のなのだろうか。その答えは、先のこととなるのである。
今日は何故か、お客の来訪が多かった。
木曜日の午後は何時もより少し多いが、それでも今日は多かった。
ラジオから聞えてくる音の流れ気にしながら、ソロバンを弾く孝夫。お客さんの相手に余念がない。お客の途切れた空間に流れ出る演歌。そして恋の歌。
「歌はいい、人生の喜びも悲しみも包んでくれる」
そう呟いてから孝夫は微笑んだ。
さて孝夫は、幾年月の夜をどの様に過ごしたのであろうか。
広告のチラシというものは便利なものである。表と裏まで印刷されているものは
役に立たないが、裏面白紙のものは、それなりに利用価値があるものだ。
貧しい孝夫にとって、文章の下書きに充分に役立ったのである。
ビッシリト鉛筆で書き込まれたチラシは、二百枚はあったであろうか。それに、市販の原稿用紙が、同数以上はあったであろうか。なかには、書き直した文面や、赤い鉛筆で書き加えた原稿が多く見られるのである。
いつの頃から書いていたのであろうか。だが想像はつく。それはきっと、妻子と別れた直後からであろう。別離とは、人を奈落の底に沈めるものだからである。その苦しみが、その悲しみが、内なる激情を爆発させるからである。
人というものは、絶望の中に、その人の未来を見てあげるものである、と思うのである。
貧しい中で、原稿用紙さえ買うことを躊躇っていた孝夫。
彼が書き続けた、拙い小説が、いつの日にか世にでることがあれば、これを、奇跡と言わずして、何と言うのであろうか。言葉を知らない。
孝夫は、思い出の中に、父親を偲ぶのである。
父親は、孝夫以上に寡黙な人だった。自分の感情を表に出さないし、細かいことは言わない人だった。そんな父親が、すごく分厚い国語辞典を買ってくれたことがある。
「言語の奥深さをしらなければならない」
と、一言だけいったのである。それはまるで、お前は俺の息子なんだぞと言っているようでもあった。
日常の生活の苦しさは、日毎に増していったのである。文学青年の彼に、商売は向いていないのであろう。駆け引きなんか出来るわけがない。安く買い叩くことができない苦学生には、
「代金なんかいつでもいいよ」
なんて言うものだから、資金繰りは大変である。彼の商売は赤字続きだった。赤字と言うより行き詰っていたというほうが正解であろう。商売に大らかさと人情は必要ないのである。一週間の過ぎてゆくのは実に早いものである。
今日の原田太郎は好きにはなれなかった。いつものように、リスナーからのお便りのコーナーを聞いていた。自身の小さな胸のことでなやんでいるという、女性の方からのフアックスである。そのことから、話題は甘木真理子の、小さな胸のことに移っていった。
孝夫は、ムカッときていた。やめてくれ、真理子のことを悪くいうのは、と心底思ったのである。たとえ少しでも真理子の悪いことは聞きたくなかったのである。勿論二年越しに聞いていると、真理子に恋人がいることも、彼女が取り立てて美人じゃない平凡な女性であることも分かっていた。
が、しかし、真理子がどれ程の存在なのかは、このラジオ局のリスナーならよくわかっているはずだ。
人は長い人生のトンネルを抜ける時、幽かに見える灯火を頼りに歩み始めるのである。そして、やがて燦々と降りそそぐ青空のもとで、背伸びをするのである。
その時、人生の醍醐味を味わうのである。
さあ、歩き出そう。未来は君を見捨てたりはしていない。後は、一歩前へ出る為に、背中を押してくれる人が必要なだけである。
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歌詞・紫の母

歌詞・紫の母

君が為、民が為
深き祈りに
身を捧ぐ
紫の母、母の祈
母の祈りに込めた愛

君が大地(ち)は、
民の故郷
永久(とわの)の祈りは
世界平和(へいわなよ)
紫の母、母の祈り
永久に栄えよ、民よ栄よ

紫の母、母の祈りは
民に幸あれ、民に未来(あす)あれ
民に幸あれ、民に未来(あす)あれ


〔意〕
最も聡明にして、優しさと、美しさに輝く、国民の母に送る。

短編小説・君に心は届いたか6

短編小説・君に心は届いたか6



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続けて孝夫は、私小説のなかで、
〔私は、絶望の果てに、奇跡が起きることを知ったのである。あの時息子に、
激励の言葉を掛けてやることが、出来たならば、立派な父親だったと思うのである〕

あれから一つの季節が過ぎてゆくのであった。
年月は改まってゆく。
花といえば水仙の花。
寒さにも耐え、雪に埋もれて美しい花弁を開き、芳香を放つ花。雪中花とも呼ばれ、
人の世の生様を代表する花として、室町時代から珍重されているのだ。
〔人生の冬〕とは成功を掴んだ者、奇跡を掴んだ者にとって、必然であったと覚知しなければならない。
孝夫が、甘木真理子に送った手紙の数々は、三十はゆうに越えたであろう。もっとそれ以上になっているかもしれない。手紙に籠めた熱き思い。それを文華のなせる業といえるなら、孝夫は相当な筆力があったというべきであろう。ここに、ポイントがある。
さて、孝夫はというと、小学校で図書委員を、中学校では、図書委員と放送委員をしている。
そうそう、中学一年の頃のことだ。国語を担任する先生の進めで、自由詩を発表している。
詩は、孝夫の言葉で、昼食時の放送室から流れていった。
この事は、相当の評判をとったのであった。
孝夫は、会社勤めをした後、古物、古本屋を始めている。
どうも、会社勤めは合わなかったようである。そして年月は流れていったのである。
さて、文化の中心といえば東京。
そのバロメーターになる古本屋街は、東京には三つあった。
文化の華が漂う、神田神保町、本郷、早稲田の町である。
孝夫は、東京への出張には、古本市開催の時を選んでいる。
茶つかりしているところもある。孝夫は、常々望んでいたことがある。
その街の名物店主に会って、文学とは何か、是非教えを請いたいものであると。
やがて月の末日も近くなると、残った赤の数字に顔色を失うのである。
「今月も、駄目だったか」
と、溜息。孝夫は、金儲けができると思って古本屋を始めたのではない。
孝夫は、商売には向いていないのだが、自身はそれがわかっていない。止むに止まれぬ事情によって店主なった者たちが多いのである。
そのなかでも、学問に対する情熱とか、文学に対する愛着があったのであろう。それでも成功しているということは、商売は割り切ることも必要なのかもしれない。
さて、甘木真理子の人気はというと、上昇カーブを描いているようだ。
それは、文庫本の、ベストセラーに例えるならば、番外の十一位辺りから、五位くらいのところ入ったようなものである。真理子にくる、メール、手紙、フアックス、の総数を推測、推計してみるのである。一位は安倍香織、やっぱりだと思う。二位は石田繁子。
石田繁子の、〔聞いてお願い、石繁と共に〕は大変評判になっていたのである。新聞の論評も大変好意的である。三位の小野寺文子共々、単独の番組を持っているのが強味なのかもしれない。
二月三日は節分の日。
思い出せば昨日のように蘇ってくるのである。
孝夫は、二十四歳の時に大病を患っている。
家にいて急に倒れたのである。それも、生死の間を二十日間さ迷ったのである。
何でも脳の内出血によるもので、病名は解からないままであった。

短編小説・君に心は届いたか5

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五年は過ぎたであろうか。
いや、もう少し時間が経過しているかもしれない。どこか気が強くて物事をハッキリ言う女性だった。一つ年上の女は、金の草鞋を履いてでも探せというけれども、
良い結果はでなかったようである。まあ、それはそれとして、晶子は、とにかくよく気がつく、世話好きなところもあった。
やがて、夏が来ると、野に出る日々が多くなる。
孝夫にとって、それは束の間の戯れ。涼しげな音声といえば、やはり蝉であろうか。
蝉といえば、ツクツクボウシ。・体長は四十五ミリ前後。体は、暗緑色にて黒班がある。
平野や台地の林に出現する。蝉がなぜ日本人に好まれるのであろうか。
蝉の命は儚い。儚いものは涙をさそうものであるが、蝉は涙よりも静穏を運んでくるものなのである。
息子の博夫が会いに来たのは、初秋の、それも朝晩過ごしやすくなった七日のことだった中学に、入学するというのである。こんなにも大きくなっていたのか。
親は無くても子は育つというべきであろう。いや、片親でも子は育つというべきであろう。
何か、伝えたいことがあったのだろう。その瞳は、言うに言えない悲しみの海で満ちていた。
「お母さんにいい人ができた」
と、息子は言う。凡そ凡人というものは、深刻な時に限って、開き直ったりふざけてしまったりするものである。
父親として、激励すべき時には答えてやらねばならない。強く生きよ、とその一言でも良いのである。博夫は父としての言葉を期待していたのである。
失意のうちに帰って行く博夫の足取りは、あまりにも重たかった。。
かくして日々は、
自らの、内なる問題を解決できないまま、だらりだらりと進んでいくのである。
さて、若き日の思い出を辿れば、
孝夫が、古都京都を旅した時のことだった。
雨に打たれて散策している一人の女性に目が止まった。
晶子も旅をしていた。歌の中山(なかやま)、歌の小径(こみち)は、雨に打たれて、漫ろ歩くには相応しい所である。
晶子は、薩摩生まれで、当時は大学で学んでいた。
晶子は、詩歌、漢文学に、強く惹かれるものがあった。
西郷隆盛と月照が国事を密議した、郭公亭を探求しに来ていたのである。晶子は、やっぱり火の国の女であった。そんな二人に、やがて隙間風が吹いて、別れの時を迎えたのであった。晶子は近じか、結婚するらしいという噂が漏れ聞えてきたのである。それはあまりにも悲しい結末ではないだろうか。
彼氏は晶子より五歳、年下らしい。孝夫にとって晶子は、遠い存在になってしまうのであろうか。日々は流れてゆく。時の流れは速いものだ。
日に添えて離れてゆく心が悲しい孝夫であった。もう心を通わすことの出来ない息子との別れ。孝夫にとって、この世で一番悲しい別離とは、息子博夫との別れであったのだ。
(息子よ、弱音を吐くなよ。強くなれ)、と仏壇で手を合わせている孝夫の姿を、誰も知らないであろう。
博夫が再び訪れて来た。
「お父さん。最後のお別れに来ました」
と、口上を言った。何でも、明後日、母親共々、新しい家に入るというのである。
孝夫は溜まらなく嬉しかった。こんな父親でも、わざわざ会いに来てくれる博夫の心情が愛しかったのである。
晶子と博夫の引越しの当日。
アパートには、運送会社の、三トンのアルミボデャ車が来ていた。
トラックに、淡々と荷物を入れる、二人の姿を、白いブロック塀に隠れるように見守っている、一人の男を見ることができた。
孝夫にとって、新しい父親がしっかりしている人ならば、孝夫にとっても良いことではないだろうか。仮にそうでなくても、母親の晶子は確りしているから、博夫が不幸になることはないというのが、孝夫共々、アパートの住人達の認識であった。
生きよう思えば、男の子は一人でも生きていけるものなのである。
孝夫は、出版した私小説の中でこのように書いている。
(私が父親であったのは、自らの人生の失敗を認めた、度量があったことである)。
人生には失敗付きものである。

歌詞・幸せは君と二人で

歌詞・幸せは君と二人で

悲しい時も、辛い時でも
二人で越えると、決めたから
一つの道が、出来たよう
君の喜び、僕の幸せ
私の願い、君の幸せ
ラ・ラララ・・・
幸せは、君と二人で、作ろうよ

(セリフ)
「ねえ、あなた、ウンー、うーん、あ、な、た」
「おー、好きなんだ、お前が、堪らなく、大、す、き」

結ばれるのが、不思議なくらい
深い愛ゆえ、許された
離れられない、仲になる
私が産んだ、あなたの子供
君が産んだ、僕の子供
ラ・ラララ・・・
この子達、君と二人で、育てよう

ラ・ラララ・・・
幸せは、君と二人で、築こうよ
ラ・ラララ・・・
幸せは、君と二人で未来まで
プロフィール

白浜 砂夫

Author:白浜 砂夫
どうも ”しらはますなお” です。

岐阜県大垣市在住
昭和24年1月11日生まれ
67歳
B型

好きな歌人は、女性では与謝野晶子、男性では、島崎藤村、石川啄木です。詩や和歌や小説を書き始めて20年あまりになります。鹿鳴館を舞台にした小説を書いております。63歳にして一念発起してパソコンを始めました。ブログにも初挑戦です。

最新出版物
白浜砂夫の電子書籍




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